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雨と紅茶と椅子のうえ

愛想くらいはいい子でありたい

剥がれないレッテル

 

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「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかです。
私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方はずっと私を花売り娘として扱ってきたからです」
これはマイフェアレディ、イライザの台詞。
 
 
イライザの悲しさが痛いくらいわかる。
相手の中に「私」ではなく、「“相手の思う”私」しかいない状態。
 
恋人間でも「私」を見ずに、
あくまで「彼女」として扱い、彼女たるものこうすべきと言う人もいる。
社会でも「女だからね」というレッテルを貼ってくる人の前では、
いつまでもわたしは、所詮女だ。
 
「どう扱われるかじゃなくて、どう振る舞うかだよ」という人もいるかもしれない。
そういう世の中だといいなと思う。
だけど、どう振る舞っても、
最後に立ちはだかる剥がれないレッテルを前に
大きく絶望することもある。
 
 
人は、相手に応えたいと望む生き物だとおもう。
よろこんで欲しいから。
その気持ちは、好きであればあるほど、大事であればあるほど、強くなる。
だからこそ、「大事な人」にどう扱われるか。
その影響は、相手が思うよりも大きい。
 
 
逆に、目の前の人がどういう人なのかは、相手をどう扱うかで決まる。
だってあなたは浮気者でしょう?」と言い続ければ彼はずっと浮気者だし、
「心配だからそばに居なきゃ」を続ければ、彼女はいつまでも一人でいられない人のまま。
扱い方があまりに固定してしまうと、本当のことは見えてこない。
 
コミュニケーションは双方向なので、
こちら側だけが扱いを変えてもうまくいかないことは多い。
 
イライザのように、振る舞いを変えても、気持ちを伝えても、相手に伝わらないこともある。
しまいに「本当の私を見て欲しい」なんて、
そんな悲しいことを言ったり、言わせてしまったりする瞬間が、
少しでも減ったらいいなと思う。
 

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落ち葉だって、花になり得る。
落ち葉を落ち葉たらしめているのは、私であり、貴方だ。