雨と紅茶と椅子のうえ

愛想くらいはいい子でありたい

パリっとした生き方(執筆4日目)

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悪びれない女の人に憧れる。

わがままで男の人を振り回していても、自分自身に正直に生きているせいなのかちっとも悪びれないその様子に、惚れ惚れする。


女の子の友達に、悪びれずに世間一般でいう"浮気"をする子が何人かいるのだけれど、彼女たちにとって、付き合っている人がいるのに他の人と好きに遊びまわるのは、とても自然なことみたいだ。ちなみにここでいう「遊びまわる」とは、一緒にゴハンにいくなんて可愛らしい内容ではなく、キスをしたりセックスしたりすること。
 

「なんで彼氏がいるのに、遊ぶの?」

 

と聞けば、彼女たちはだいたいこう答える。

 

「だって、いいなと思ったんだもん」

 

こういうときわたしはその友人のことが大好きになる。悪びれないその様子。
それでいて、決して寂しい女なんかじゃないところがいい。寂しくて、誰かに認められたくて、誰彼構わずついていくような女とは違う。彼女たちには確固たる意志があるし、楽しむための逞しさも持っているし、加えて彼氏との関係も良好だ。

その上、もし何か厄介なことが起こり始めると(それは大抵、浮気相手が本気になってしまったとか、そういう健気なはなしなのだけど)、「もう会わないことにしたの」なんて平気でいう。

友人とこんな会話をしたことがある。

「彼氏がいるけど、いいなと思ったらホテルにいくよ。でもちゃんと条件をだすの。ひとつめは、ホテルのお金は全額あなたがだすこと。ふたつめは、わたしは彼氏が大好きだからあなたとは何があっても付き合わないということ。この二つだけ。」

 

「でも、後日、やっぱり付き合ってって言ってきたりしない?」

 

「言われることもあるよ。でも、それは約束違反よと告げて、もう連絡を取らない」


なんて潔いんだろう…。情がないというのかもしれないけれど、彼氏にバレたら?とか、相手が本気になったら?とか、そういう未来のことよりも「今」にフォーカスを当てていて、それでいて未来をも守ろうとする計算高いところが好き。

結局のところ何かにつけてメソメソしてしまう、湿っぽい女ではなく、パリッと乾いたその心の潔さが、気持ちいい。

そういう彼女たちをみていると、なんだか猫みたいだといつも思う。

 

飼い主がいながら、いろんなところでそれぞれの名前をもらう。
時には「みーこ」と呼ばれたり、「くろ」になったり。本当の名前はシルビアなのに、そんな様子を見せずに、可愛がられ、餌をもらい、擦り寄り、気が済むと去っていき、彼らが寂しくない頃にまたふらっと訪れる自由な猫たち。だからといって、首輪をつけようとしたら嫌がるような、そんな猫。

 

わたしもそういう猫になりたい。悪びれなくて、潔くて、自由で、それでいて人生を楽しんでいるような。

 

でも、やっぱりなれない。
……わたしがなれるとすれば、湿っぽい猫だ。

昔、友達の男の子に「きみは"ティファニーで朝食を"の、ホリーゴライトリーみたいだね」といわれたことがある。

「猫に名前がないのはちょっと不便だけど、彼は私のものじゃないから、名前をつける権利はないの」。

ティファニーで朝食を (新潮文庫) 

 

こんなことを言ってのけるホリーゴライトリーは、とても自由で潔い女の人のようだ。でも、実際に読んだことのある人ならわかるかもしれないけれど、ホリーゴライトリーはちょっと湿っぽい。

唐突なところもあれば、自由主義を唱えるところもある。でも結局誰かのものになりたい気持ちもどこかにあって、でもなれなくて、結局大好きな愛猫さえも自分で手放しておいて、自分で後悔して泣いたりする。きっと自分が好きだけれど、自分自身でさえ手に負えなくてつらく思うときもあるのだと思う。


彼女は、自由だけど少し湿っぽい女なんだ。そしてその女に似ているといってきた友人は、かなりわたしを見抜いていたんじゃないかと、ちょっとヒヤヒヤする。

…ホリーの真相は別として、結局わたしはカラリと乾いた生き方は向いてないと最近よく思う。猫のような彼女たちとは遠い。あのパリっとした生き方に憧れて何年も生きてきたけれど、25歳を目前にして、自分には向いていないことに気づく。

ホリーはこうも言う。

要するに『あなたが善きことをしているときだけ、善きことが起こる』ってことなのよ。いや善きことというより、むしろ正直なことって言うべきかな。規律をしっかり守りましょう、みたいな正直さのことじゃないのよ。…(中略)…不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだほうがましよ。

ティファニーで朝食を (新潮文庫)

 

わたしは、最初に述べた多くの場所でかわいがられるような猫にはなれないけど、ホリーのいうように自分の心に正直な「善きこと」は続けていきたい。

パリッとした生き方に憧れながら、少し悪びれながら、ときに自分のしたことで自分で泣いたりしながらも、湿っぽく自由に生きていけたら、それで十分なのかもしれない。

せっかく女に生まれたんだもの。自分の心に正直に生きられるくらいの責任はもちたい。自分の心に、恥じないように。